ごみ捨て場が近い家がいい。
朝、起きるのが困難だ。
6時、ましてや7時にふとんから抜け出て、毎日きまった時間に会社に通勤することがきびしい壁として、わたしの目の前にたちはだかっている。
がゆえに、今のありかたである。
会社で働かずにすむ働き方におさまったのはいいとして、燃えるごみを捨て場に朝の8時までに持っていくのがむずかしい。
夜遅くに散歩ついででゆけば解決法なのだけれども、冬の夜中は寒さがすごい。まるで、妖怪のぬりかべがいるかのように、寒さのバリアが玄関から先に行かせてくれない。
どんどんたまっていく。
引っ越しをするならどんな家がいいか
と聞かれたら、ゴミをいつ出しても許されるマンションか、ゴミを処理してくれる、ホテルに住みたい。
カレーチャーハンというべきか、ドライカレーをカレー粉で作る。
カレーチャーハン的なドライカレー
夜食である。
今回作ったのは、ごはん全体がターメリック特有の黄金色に染まっている方の、ドライカレーであり、白米の上に水分量の少ないひき肉のカレーをかけたものではない。
作り方はアバウトでいいのだ。
玉ねぎを半玉、あらみじん切りにして、オリーブオイルを多目にひいたフライパンで、強火で炒める。
玉ねぎは強火で加熱しても焦げたりしない。歯応えがあるほうが好きならすぐに次の工程にうつるほうがいいし、甘味を引き出したいなら、炒め続ける。
この時、塩コショウをすると、水分が早く抜ける。
香りづけのためにクミンシードを投入して、カレー粉をスプーン一杯。
ごはんを入れて、香ばしくなるまで炒める。
皿に盛って、生卵をのせて完成。
カレー粉は、風味なので、味は塩をキメる。
カレーチャーハン的なドライカレーの起源は不明らしい。想像するに、残りのカレーを使って、残りのごはんを炒めたのがきっかけなのだと思う。常連の客が注文したにちがいない。
クミンシード
クミンシードを使うとカレーの香りが華やぐ。インドに行ったことがなくても、インドの風が部屋を通り抜ける。
あまり使う機会がないと思われがちではあるが、サラダ油にクミンシードを投入し、低温で熱して、気泡が出て香りが立ってくると、それはもうクミンオイルになっている。
ざく切りにしたキャベツを炒めても
角切りにした茄子を炒めても
千切りにしたニンジンを炒めても
角切りにしたじゃがいもを炒めても
おいしい。
味付けは塩だけ。
塩はミネラルをふくんだ甘味のあるやつがいい。ヒマラヤのピンク岩塩とか。
餅 友人の結婚式 柳田国男 江戸時代の幽霊画
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餅
一人暮らしをはじめて以来、初めて自分で餅を買った。餅焼き用の網はAmazonで買うと450円くらいするけれど、近くのショッピングモールで買えば280円だった。
餅のカロリーは1個116kcalで、すでに4個食べた。健康的に太りたいと思っていて、餅はかなり便利な食べ物なのではないかと思っている。
まず、米なら炊くまでに時間がかかるので億劫である。1時間くらいかかる。保温をしていても、炊きたてに比べて味は断然に落ちる。
うどんはお湯を沸かしてから茹でるので面倒だ。7分くらいかかる。釜玉うどんにすれば卵も一緒に食べれて良いが、一杯で十分な気持ちになる。
餅は4分で焼ける。醤油をつけて30秒で食べ終わる。同時に2個、3個焼いておけばすぐ食べられる。わんこ餅ができる。
わんこそばのわんこは、どういう意味なのだろう。おかわりという意味であってるんだろうか。
ところでこのまえ火鉢をもらったのでさっそく使いたいところだったのだけれど、灰がない。灰がないと、火鉢を直接熱してしまうので、床や畳が焦げてしまうようだ。早く灰がほしい。炭も欲しい。炭で焼いた餅が食べたい。絶対、遠赤外線で焼いた餅のほうがおいしい。
バター醤油で食べようと思ったけど、醤油だけで十分おいしかった。餅も甘いし、醤油もうまみがある。バター醤油にしたほうがカロリーとれたけど、味がくどくなりそうだ。
胡麻油をかけたほうがうまい。炭水化物+塩+油=うまい。
友人の結婚式
明後日、友人の結婚式である。
自分のパーソナルスペースが狭いせいで、友人と呼べる友人がそんなにいないということもあり、結婚式に呼んでくれる友人というのはかなり特別な存在で、彼にとってもそうであったらしく、友人代表のスピーチを任された。
友人代表のスピーチをしてくれと書かれた手紙を見ただけでも昔の記憶がブワッとよみがえり、涙が出てきてしまったが、本番はもっと本格的に泣きそうだ。
学校の友達がいなくなった中学時代、家から千葉駅までの田んぼと国道脇を歩いたこと。
高校卒業の時、黒部ダムに行ったときの雪道。
修善寺温泉に行った時の山道。
京都までの青春18きっぷを使った在来線の電車の道のり。
彼との思い出は歩いていることが多かった。
悩み、苦しみの日々。
ただ隣合って、愚痴や、とりとめのないことや、アニメのキャラクターがかわいいということを話していただけの時間がどれだけ尊いものだったかを、きっと自分は一生忘れない。
結婚するということは、かけがえのないパートナーと、ともに道をゆくことだと思う。
雪の降る寒い日でも、暗くいつまで続くかわからない山道でも、自分たちのスピードで、手を取り合って。
なるべく小さな不幸せと、なるべく小さな幸せに恵まれた日々であることを祈ります。
柳田国男と民俗学
1875年に、生まれて1962年に亡くなった柳田国男は、「日本人とはなにか」の答えをライフワークとして探求し続けた人物であり、東京帝国大学で農政学を学び、農商務省へ。
妖怪という言葉を一般に広めた人。フィールドワークをして土地に生きている人から話を聞き、本にまとめた。
日本人がどこから来てどこへいくのか。海上の道。ルートとか貿易とか。
一つめ小僧。
妖怪談義。落ちぶれた神様。キャラクターの妖怪でなく、コトとして、はんぺんみたいな塗り壁でなく、夜道をふさぐこととしてとらえる。
柳田国夫がいないと、水木しげるもゲゲゲの鬼太郎を描いてないだろう。
砂を掛けるというコト(現象)に対して、砂かけばばあという名前をつけた。
ほぼ同じ時代を生きた井上円了は、妖怪とは前時代的なもので、もう現代には必要ないよという姿勢。柳田国男に対しては批判的な立場を取っていた。
江森とおるの妖怪変化 つくも神は物が化けたモノだ。 妖怪に対して独自のアプローチで妖怪を紹介し始める。
明治から昭和は絵画でも、鏑木清方とか、幽霊の絵が盛んだった時代である。
江戸時代の幽霊画
円山応挙、月岡芳年、葛飾北斎、祇園井特、鳥山石燕、中村芳中、歌川広重、柴田是真、渓斎英泉、歌川国芳。
それぞれの解釈。